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僕とお店と涙と笑顔

僕とお店と涙と笑顔

最終話 僕はここにいる

春が来て、夏が来て、秋が来て、そして冬が全てを隠す。やがて

隠れていた物が、また見え始め、又春が訪れる。そんな中、本当に樹木の

様に、目に見えない速度で成長してきた。

それは一人ひとり来てくれた、いや、お店に来なくても力を貸してくれた

全ての人達のお陰なんだと、年数が経てば経つほど、そう感じる。今ここに

十周年と言う一つの壁をぶち壊す時に、刻一刻近づく中、走馬灯のように

色々な人達との色々なシーンが思い浮かぶ。

渡り鳥が羽を休めるように、ここで一息だけついた人。

悲しみの雄叫びを揚げる猛虎のように、泣き続けた人。

小鳥のパーティーのように、一晩中はしゃいでいた人。

様々な人の笑顔と涙と、そして出会いと別れを繰り返し、このお店は育ちました。

バーテンダーそれは、止まり木的な意味を含むとおり、このお店から

巣立って、もしも、また戻る日があるならば、再び僕は止まり木になるのでしょう。

そういう風に思えるようになったのは、きっと皆のおかげなのだと思います。

ただ・・・・。

あの日出せなかった12000円は永遠の悔しさ。だから僕は思う。

仁ちゃんの息子がいつかこの場所に現れて、ターキーの空ボトルの中身を

いつか溢れる程に注いで欲しい。それが10周年を迎えられた僕の次の夢。

だから僕はここにいる。ここを守る。

そして、一人、ひとりに、今、ありがとう。

 

ってな訳で僕とお店と涙と笑顔は終了になります。最後まで付き合ってくれた方々ありがとうございます。9年を数行で表すには短すぎました。そのぐらい色々な事が起きる舞台です。そしてもし興味を持たれた方、是非ぱかぱかに足を運んでみてください。

それでは日曜17:30にぱかぱかで!               

 

第一弾 “僕と競馬と馬と馬券” こちらもよろしく

僕とお店と涙と笑顔

第4話 継続とは何ぞや

お店をずっと続けていくと、仁ちゃんに誓った物の、そこからの

3年間と言うのは、とてつもなく苦しい日々でした。

思い起こせば、あるラーメン屋のチャーハンを食べて涙を流したのも

この頃でした。あまりにもの不味さに・・・悔しくて。

元々が身内営業というか人脈営業的な僕が30を超えてまず最初に

感じたのが、結婚と言う壁!

誰かが結婚すると言うことは本来喜ぶべきこと、しかし、お店にとって

は出歩かなくなる証。必然的に同世代が結婚していく度にお客さんは

減り続けました。そして輪をかける様に、東武一番通りから東武馬車道通り

に変える2年間、関止められるような工事の毎日。

一気にお客さんが飛びました。4割減位かな?

何度“なんで工事で2年間かかるんだよ”と市役所に足を運んだか

分かりません。その度 “道路が綺麗になると市民が喜びますから”

これを何度言われたことでしょう。綺麗になった今も人が増えたり、市民が

喜んでいる声は聞こえてきませんが・・・。それ以上の事を思い出すと・・・・。

ただその時、もめにもめた○○ちゃんとは今では仲良しなのが笑えます。

そんな泥沼時代何度やめる決心をしたか分かりません。

今だから言うけど、北海道の牧場で働くことも真剣に考えた時もありました。

けど、そんなどん底の中、今から3年前一人の救世主が現れました。

中学時代の同級生、福ちゃんが宇都宮に帰ってきたのです。彼は毎日来て

くれました。これは想像を絶する嬉しさなのです。なんてったって客0の日は

無くなる訳ですから。そして何より彼のスケールのでかさが、僕に火を再び

灯してくれました。こいつに追いつきたい、張り合いたい、そんな気持ちから、

色々考えました。小泉首相を真似して“一人構造改革”と名付け、残す所と

切っていく所を整理して、何が足りないかを考え始めました。

すると不思議なもので、またまた中学時代の友人、佐々木君と再会し、訳ありで

感謝され、色々アドバイスしてくれました。人生の波とは、自分の気持ちで

不思議とそういう風に必要な人材が現れてくるのかもしれません。そんな流れ

の中決定的な方向性が見つかりました。

“梅酒の店” 開店7年目にして、勝負の方向性が見つかったのです。

宇都宮どころか、全国的にも梅酒を専門でやっているお店は2件しかな

くて(自分調べ)、福ちゃんにも面白いと言われ、ずに乗った僕は、ディープイン

パクトの追い込む脚の様に一気に飛びました。それからはラジオは来るわ、

本には載るわと、信じられない位に注目されるようになりました。本当奇跡だね。

今ここで流れる音楽があるならば

“あの日あの時あの場所で君に出会わなかったら”になると思う。

そして、継続と言うのは、きっと色々なチャンスが訪れて、そして去っていくと

言う繰り返しなのでしょう。掴むも捨てるも己の意思であり、満足しない限り

それの繰り返しのような気がします。

 

続火曜日 最終話 僕はここにいる

僕とお店と涙と笑顔

第3話 もう止められない

春の陽気に似あわない電話をかけて来たのは、仁ちゃん。

ただ癌と言われても現実にどんな病気かは分からない。もうその時の時代は、

癌は怖くないとか治る病気と言われるようになっていたから・・・。

2週間後、病院へお見舞いに行った時など、すっげー元気で

“なんか小便飲まされてんだよー”とジョー談まじりにお茶のような飲み物を

見せては、たわいも無い話をしていた。

だけど、正直覚えていない。

心だけ何処かに置き忘れてきたように、ただ時間が淡々と流れていたから・・・。

 5月下旬。あれ以来連絡はとっていない。病院へも行って良いものか、迷惑

なものか良く分からずに、繋がらないと思いながらも、なんとなく電話してみた。

予想とは違い繋がった。

“おう!どしたよ?”    “退院したんすかー”

目の前が一気に明るくなった。今までの寂しさが嘘のように一気に弾け飛んだ。

そして言われた

“なかなか行ってやれなくてわりーなー、けど良くなったらケンジ達誘って

行くからよー、それまでお店やっておけよ”

こんな状況になってまで僕の心配。情けないなーと思う半面嬉しかった。

  7月中。電話をかけたけど、繋がらない。あー入院したんだー。手術でき

るようになったのかなー?妄想が不安と期待を戦わせる。

 8月16日くらいだったと思う。小山の花火大会。ちょっと脇道にそれた所に

ポツンと光る一軒の雑貨屋。何気なくお店を覗いて見た。

すぐに目に入ったのがエルビス、プレスリーの人形。仁ちゃんはエルビスが

大好きで大好きで、何かと言えば酒の肴にエルビスの話を聞かされていた。

正直イイ迷惑だったけど・・・。これプレゼントしたら、少しは元気出るかな?と

思い、手にした。

“12000円、あっ無理”そう思いお店を後にしたけど、後味悪かった。

8月20日ケンちゃんから一本の電話

“今日午前・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”

言われた瞬間に分かった。涙は出なかった。ただ世界が止まると言う言葉の

意味を初めて実感した瞬間だった。

夜、寝ている仁ちゃんにティッシュでもネジネジして鼻くすぐってやろうかと思っ

た。けどそんな風に馬鹿をやればやろうとする度に仁ちゃんの笑顔が出てきて

もうボロボロだった。馬鹿話を書いたらそれだけで、何ページ必要になるか分

からない程、いつもいつも馬鹿をやり続けた仁ちゃんはもう起きてくれない。

そして怒ってもくれない。笑ってくれない。酔っぱらってくれない。歌ってくれない。

大勢のカエルも泣き続ける中、まっちゃんに言われた。

“仁ちゃんが、どれだけおめーの事かわいがってたか、分かるよな?だったら

一生店つぶしちゃ駄目だぞ、頑張ってくれよなー”

きっと、まっちゃんもぱかぱかに仁ちゃんを重ねていたかったのだろう。

“大丈夫っす。オレもう止めれないっす。だって仁ちゃん来るところ・・・。”

今ではつまらない約束しちったと後悔している(大涙)

だって、あの約束が無かったら、僕はお店が苦しくなった瞬間、楽な道に

逃げ出していたもの。今でも、あの後飲んだターキーの空ボトルに仁ちゃんの

名前が刻まれ、ボトル置きの片隅で静かに、このお店を見つめている。

と、思いたい。

 

続火曜日 第4話 継続とは何ぞや

僕とお店と涙と笑顔

第2話  君の為に

そんな成り行きで無事開店。と言っても本当に身内営業の為

新規のお客さんなんて月に一組二組の世界。たまに忙しい日が

あればお客さんにまでビックリされ、喜んでもらえる程でした。

ただそれでも、グループで使ってくれる人が多かったから、

そこそこ暮らせる程度には、営業できました。

今でも思い出深いのが、北海道から毎年冬場限定で飲みに来てくれる

土建屋さんの連中。初めてチラシを撒いて、早速来てくれた人達です。

“マスターも一緒に飲むべや”なーんて言ってくれて、普通に仲良くなりよく

お店に泊り込んで朝まで飲み明かした物です。北海道に帰った後も夕張メ

ロンやイクラに秋刀魚、お礼ですって色々送ってもらいました。仕事が内地

で無くなり今では会えなくなりましたが・・・。他にも自衛隊の人達なんかも

免許取りに来ている時に、3ヶ月の間に20回位来てくれました。特にその頃

僕は、“聞け わだつみの声”にはまっていたものだから、もう色々質問して

教えてもらいました。自衛隊のイメージと違い、白虎隊ってこんななのかな?と

感じる程、純粋で可愛らしい少年のような子達が多かったです。皆本当の

弟のようにかわいい子達でした(本当の弟はかわいくないけどねー)

ただどちらとも、遠くから一時的に宇都宮に来ているだけに、いつか訪れ

る別れの日が近づくにつれ、いくら水商売と言えど寂しい物がありました。

毎年毎年、雪の降り初めが再会の前兆になる北海道の人達、

帰った後も“千葉に行く途中マスターに会いに来ちゃいましたよ”と新潟から

ビックリさせに来てくれた自衛隊の田仲やトラックの長距離の最中に顔出しに

来る長沢。お客さんとは、いつか来なくなる日がくる物なのかも知れない。

だけど、今振り返れば、その時代時代のお客さん達全てが、お店の一本

一本の、震度6が来ても倒れる事の無いぶっとい柱になっている気がします。

そしてそんな別れがある度に心に思う事。それが!

お店を続けていれば、またいつか会えると言う気持ち。

そんな気持ちが苦難の日々さえ乗り越えさせる。

ただ、ただ一人を除いては・・・。

開店から4年目の春。一本の電話

“よーおめー米あるかよ?”  “いやーあまり無いっすけどお金もないんでー”

“お金後でいいから米届けるよー” “なんか、あったんすかー”

“オレ癌みたいでなー”     “はー????????????”

“入院するんだわー”      “・・・・・・・・・・・・・”

4月1日では無い、まだ3月中旬の出来事。冬に逆戻りなんて単純な言葉

では言い表わせない、逆上しそうな感情。僕が心配しないように明るく振舞う

表情が 僕の言葉を奪っていく。

そして僕は・・・・・・もう止められない。

続水曜日     第3話 もう止められない

僕とお店と涙と笑顔

10月14日がぱかぱかの9回目の誕生日です。

もう1ヶ月とチョイですね。そこで今回より毎火曜日5回に渡り、

“僕と競馬と馬と馬券” の第2弾 “僕とお店と涙と笑顔”を掲載して

いきます。暇な人だけ読んでください。

 

第1話 復活と2つの失命

 その頃の僕って凄く、くすぶってた。何かやりたい。でもやれる事など、何も

無い。代行運転のアルバイトをして、とりあえずの収入だけで日々を淡々と

過ごしていた。26歳一度お店を失敗した僕には、もう夢も希望もまったく無く

て、泥靴で歩き続けた足跡だけがはっきりと、切り刻まれていた。

ゴールデンウイーク“XジャパンHIDE死去”のニュース。

愕然とした、もう全てが嫌になった。お気に入りのXだけじゃなく、HIDEまで

聞けなくなる。事実を受け入れられず東京に向け5月3日午前3:00走り

出した。そう向かった先が東京では無く、未来だった事など、この時点で想像も

しなかったけど・・・。築地本願寺で見たもの、それはHIDEの生きてきた道

そのものだった。沢山のファンが泣いている。中には冷やかしもいたけど

そんな連中はどうでもよかった。慕われている、別れを惜しまれている、

形容できない人達もいた。羨ましいと言う言葉が巡り廻った。

今オレが死んだら何人泣くかな?下手すりゃ喜ばれるかな位に感じた。

やべーこんな人生つまらないなーと必死に感じた。

“今のオレに何が出来るのだろう?”“何も出来ねーなー”

HIDEのビデオを見ながら、そんな事の繰り返しだった。けど違った事が

一つだけあった。絶対に動き出すと言う気持ち。

そして本当は一つだけ見えていたんだ。それはその日から一年くらい前の事

だけど、仁ちゃん(高校の先輩)から電話がかかってきて言われた、僕の人生

で一番嬉しかった言葉。“よーおめーよーいくらあったら店復活できんだよー。

俺とけんと松とシャーで金出すからお店もう一回やらねーかー?飲みに行く

店ねーしよーどうせ使うんだったらおめーん所で使いてーしよー”

その時は、はっきり断った。“嬉しいですけど、すいませんもう自信ないん

でー”と。しかし一年後の今、その言葉が蘇る、そして頭を駆け巡る。

怖い、一度失敗した道に戻るのは怖すぎる。また失敗したらの声も同時に

こだまする。ましてや不景気のど真ん中!

けど、お店開けられれば少しだけHIDEの真似が出来るかも?本当に久し

ぶりのポジティブ思考。しかし一度ポジティブになれば話は早い。

先輩達に喜んでもらえて必要とされるだけでも今よりはいいじゃん。根は単純

思考のB型さん。妄想が更なる加速を手伝い、何も出来なかった2年分を補う

ように、一気に走りたくなりました。

しかーし現実にお金は無い。親に言っても反対されるだろう。こっそりお店に

忍び込み、電気の通わないお店で、掃除をする日々が始まりました。そう最大

に恵まれていたのが持ちビルだった事です。

当然作業は深夜に一人な訳で、真っ暗な上、鏡だらけだったこの場所にいる

のは、涙がチョチョ切れるくらい怖かった。がさがさ、なんて音がしようものなら

顔がマジで引きつる。そんな事を4ヶ月続けた後、両親とも、もめてもめて、

脅して(←)やらせてもらいました。そして真っ先に仁ちゃんに電話をして

“復活します”“いつ?”“明日”“まじかー”

こんなやりとりをした事が昨日の事の様に感じます。そしてこんな急な

やりとりにも関わらず、19:00コースターをお祝いで持って駆けつけてくれ

ました。そして嬉しそうな顔で仲間内に電話して、

“何処いると思うよ?!トーキング(前名)だぞ”

慌てて駆けつけてくれる先輩方。悪口言われ放題だけど、怖い涙じゃない

涙がチョチョ切れるくらい嬉しかった。

そしてこの日から、ぱかぱかの1ページがスタートしていくのです。

続 火曜日         第2話 君の為に

 

 

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